2013/9/17
喜びを共有できること
子どもを育てる難しさ
しつけ? 虐待?
あるお父さんから「しつけと虐待をどう区別したらいいですか?」と尋ねられました。突然に聞かれ即答できず、その場で少し話し込んでしまいました。言うことを聞かない子どもに思わず手をあげる。あるいは「子どもを叩くのはしつけの一環。叩くこと全てを虐待とは言えない」という意見に代表されるように、しつけと虐待の線引きは実際には難しいものです。
自分が子どもにふるった行為は、しつけかそれとも虐待にあたるのか……。そう悩む中でも、日々の子育ては待ったなし。子どもは環境を選ぶことはできないですから深刻です。
日々の親子の営みを大切にする
- 愛情ある営みで育ててゆく
今回は児童虐待に関する著書の多い、安部計彦北九州市児童相談所相談係長さんの一文を参考にさせていただきます。
「言ってもわからないからたたくというのは間違い。暴力は劇薬と同じで即効性がある場合もあるが副作用も大きい。つまり同じ量では効かなくなり、どんどんエスカレートしていくであろう」
また「しつけと虐待の明確な区別は難しい」と前置きをして、あえて次の3点の基準をあげています。
(1)叱られたことを子ども自身が納得しているか
(2)叱る量が、子どもが行った行為に比例しているか(常識を超えた叱り方をしていないか)
(3)叱るとき、子どもの姿や気持ちに目を向け、子どもを別の存在と考えているか(子どものためと言いつつ大人の感情をぶつけていないか)
子どもは別個の人格をもった存在という認識をしていても、言うことを聞かないと大人はいとも簡単に腹を立ててしまうことがあるでしょう。安部先生は「大事なのは『あの時どうしたらよかったのか』『自分の気持ちに余裕がない時は子どもにどう接すればいいのか』を考えること。それができれば、虐待に走ることはないのでは……」とも書いています。
ゆとりのない現代社会で親はストレスにまみれやすく、親にしっかりかまってもらえず、受け入れてもらえない子どももストレスを募らせていくでしょう。いつも一呼吸おいて子どもと向き合う。寝顔を見ながら子どものことを考えてみる。そんなちょっとした時間が、心にゆとりを作ってくれるのではないでしょうか。
人間らしく育つ英才教育はないようです。日々の親子の営みが人間を育てていくのですから、責任は大きい。幼児期に愛情に通ずる親子関係のベースを作りたいものですね。
- 一呼吸おいて子どもと向き合う
集団の中で育つ意義
以前、高校バスケットボール部主将の男子生徒が、指導者である教師の体罰を苦に自殺したとされるニュースが報道されました。やるせない思いとともに「またか」という怒りもわいてきます。また少年野球チームの監督が、敗戦の「罰」として科した過酷な練習による少年の熱中症死なども思い出します。
私たちは、日々幼児と関わり感じていることがあります。それは、子どもの大好きなもの。1つ目は「やれそうな気がする」「ともだちと一緒にやれるとうれしい」と目当てを持つこと。2つ目は「頑張ったらできた」と達成感を味わうこと。3つ目は『「できた」と喜んでいたら「よくやったね、よかったね」』と褒めてもらえたということです。
- いいところを見つけ、うんと褒める
集団の中で育っていく子どもたちには、素晴らしい力があります。他人より上に立つことだけに喜びを感じるような自己中心性は少なく、むしろほかの子の達成や成功を「よかったね」「一緒にやろう」「手伝ってあげるよ」と喜ぶ優しさをもっているのです。教育で大切なことは、競争に勝つことだけに喜びを感じる人間にすることではなく、支え合って生きることを学ぶものだと思います。
いいところを見つけ、うんと褒めて、子どもを「自分好き(自尊感情)」にさせていくことが、最も大切。暴力や体罰で子どもを支配し強制することでは、人として何も育たないでしょう。自分で努力し乗り越え、達成感につなげていけるよう育てることが指導するということ。いつでも子どもと喜びを共有できる関係をもつことが、とても大切だと感じる毎日です。