2018/10/16
どんなことも体験的に学ぶ年齢
遊ぶからこそ子どもは育つ
幼稚園選びのために見学にいらっしゃった方から、次のようなご質問を受けました。「みんな、よく遊びますね。ところで、みんなでまとまって決まったことをするのはいつ教えるんですか?」「遊び方のルールなどの徹底は、どのようにしているんですか?」といった内容でした。子どもたちがあちこちから集まってきて、群がって遊ぶ姿に圧倒されたご様子でした。
子どもにとって「遊び」は「学び」
- はずむ笑顔は成長の証
遊びが子どもたちの成長にとって、大切な意味を持っている。このことは、今では誰もが認めていることです。文部科学省も「遊び」は「学び」であると述べています。しかしそうなったのは、まだそんなに古いことではないのです。19世紀に幼稚園を創始したフレーベルという人の、次のような考えが出発だといわれています。
「幼児にとって、その自発的活動である遊びや作業を充実させることは、子どもが人となりゆく、なによりもの保証である」
フレーベルは、子どもたちの発達段階を将来のための準備にあてることを批判しました。そして幼児期を充実させることの大切さを強調しました。その大切な中身の部分が遊びであり、子どもは充分に遊びきってこそ、大人になる条件を獲得するのだと主張したのです。
今では「常識」かもしれませんが、こういう考え方が広まるまでに、じつに長い歴史を必要としたのは知っておいてもよいことでしょう。ただ、まだ根付いたとまではいえません。大人になると、この遊びに対する考え方が少し変化してしまうようです。見学にいらっしゃった方のご質問も、その変化から出発しているように思います。みんなでまとまって決まったことをする、何かを徹底するというのは大人の発想です。遊びは子どもたちにとって、掛け値なしに楽しいものです。この楽しさを体でいっぱい感じ取って生活できてこそ、幼児期が充実したものになるでしょう。
自発性をともなっているから楽しめる
- 子どもと目線を合わせた行事
遊びが子どもたちにとって楽しいのは、遊びこそが「子どもの活動の中で最も自発的なもの」だからです。自主的で、人に強制されない自発性をともなった活動だからこそ、子どもたちはそれに没頭できます。もし遊びが大切だからといって、大人が子どもたちの気持ちを理解せずに「遊ばせ」たとしたら、どうでしょうか。子どもたちは、どこかそれに没頭できないものを感じるでしょう。
幼稚園で設定された保育で「◯◯遊び」と名付けて環境をつくったときのことです。一生懸命に盛り上げても、子どもたちは充分に乗ってきません。そして「先生、これが終わったら遊んでもいい?」と言ったという、笑えない体験を振り返って大いに反省したことがあります。
これは、自発性という遊びの本質を尊重しないことによる失敗です。幼児教育にかかわる者なら必ず体験することです。この体験が、幼児理解の必要性を痛感させてくれます。大人にあれこれ指図されながらやるような「遊び」はそれだけで、もう遊びではないのです。大人がまじって遊ぶような場合も、指図する人としてではなく、遊びのメンバーの一員として参加することが求められます。そうしないと、大人は子どもたちにとって楽しくない存在になってしまいがちです。
学べるからではなく、遊びたいから遊ぶ
- さつまいも掘りも楽しい遊び
子どもは本来、全身を使って活動することが大好きです。子どもの遊びには、他のなにかのために行うのではなく、それを行うこと自体に楽しみを求めるという「自己目的性」があります。
2歳から3歳にかけて増えてくる遊びは「ごっこ遊び」です。例えばイメージの世界で石を別のものに見立てたり、自分をお母さんにイメージしたりして、それらしく振る舞います。これはあるものを別のものとして扱うという、心の力が備わってこないと生まれません。こういう力が身についてくると、いろいろなごっこ遊びができるようになり、友だち関係に広がりができてきます。
ルールをルールとして扱い、それにのっとって楽しく遊べるようになるのは4歳以降です。しかしルールを理解し、守り合って遊べるようになるのは5歳、6歳になるのを待たなければなりません。子どもと付き合うのはなかなか根気のいることです。ですがその時々で、子どもたちはいろいろな体験をして育っていきます。幼児期はどんなことも体験的に学んでいく年齢なのです。その本来の姿を、全力で援助していきたいと考えています。